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Perceptibility

Philosophy


吉田翔は、作品制作を、自然や風景の一部、生活の一部といった文脈から捉えることをクリエイティブなヴィジョンとして掲げている。彼は、2006年に本格的に作家活動を開始、初個展『Beautiful Thing』を開催するにあたり、当初から『一枚の絵を見るというよりは、俯瞰して空間の中にどうあるか』をヴィジョンとして掲げ、インスタレーションとして空間全体での見え方を意識して作品を発表している。

彼がアーティストになる決意をしたのは、幼年期のクリエイティブのアプローチからして、自然な流れだった。幼い頃から美術館に通っていた彼は、9歳のときに観た美人画の巨匠・上村松園の作品に感銘を受ける。彼は、明確なヴィジョンとして『主張し過ぎていない、品のある絵。ただそこに佇んでいるような感じの絵が描きたい』と語っているが、これは、このときに観た上村松園の描く女性像の品のある凛とした立ち姿に起因する。

吉田が得意とするモチーフの正確な写実表現は、少年期から培われたスケッチの技術や、それを補うために撮られたモチーフの膨大な写真資料により完成される。コントラストの強いモノクロ写真のようにフォトリアリスティックな絵画作品は、深く吸い込まれそうな漆黒が墨(松煙墨/炭素+石墨/グラファイト)、発光しているように眩しい白が胡粉(蛤貝/炭酸カルシウム)によって絵絹(シルク)に描かれており、日本に古くから伝わる画材を用いて制作されている。近年では京都の表具師と協力し、日本の伝統的な表装スタイルを保ちつつも、モダンにアレンジした掛軸や屏風に作品を仕立て発表している。

彼がモノクロームに拘って描く理由は、『東洋の墨文化の復権』というヴィジョンもあるからだ。彼の作品は、ペインティングを主体としており、ドローイングを主体とする従来の水墨画の描き方とは一線を画しているが、墨を基調とした絵画作品である点について同じである。つまり吉田の作品は、文化を昇華させた「伝統」を視野に持ちつつ、1980年代生まれのジェネレーションが見せる現代的なアプローチの美意識の反映であり、伝統と現代のオーガニックな美意識がもたらすアートなのである。

吉田の作品スタイルが、コンテポラリーでありながらも制御されたシックを息づかせるとしたら、その哲学は、ネイチャー(自然)、インスタレーション(空間美)、トラディション(伝統)、リスペクト(敬意)、クオリティー(品質)の5つに集約することができるだろう。そのインスピレーションとなっているのは、日本古来の障壁画や工芸・調度品の併せ持つ、時代を超越した空間美だ。完璧な構図法とテクニックに裏打ちされた寺院や茶室のインスタレーションは、現代の感覚をもってしても美しく体にフィットする。

『美』ではなく、『知』が先行する現代のアートシーンに少なからず疑問を抱いている彼は、よりプリミティブで、その土地の風土や様式を培って完成された『もの』としての作品の在り方を追求している。自然や景観にインスピレーションを求め、それを象徴的なバリエーションとして、制御されたトーンで描き出す。吉田の作品が提案するのは、生活の過ごし方であり、空間の着こなし方だ。それはどちらも、すべての人に通じる本質的要素であり、サスティナブルなライフスタイル、アートシーンにとって、欠くことのできないものである。

Nov. 2011.

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Perceptibility

What is Beauty?
うつくしさとは

Text by Syoh Yoshida

『佇む』—それは環境にとけ込むということ。

優れた『もの』とは主張し過ぎず、風景の一部としてそこに佇んでいることなのだと思います。

『美術』って何でしょうか?
アーティスト側から見れば、新たな美を追求することでしょう。
鑑賞者側から見れば、生活をより豊かにし、こころにゆとりを与えてくれるものでしょう。

『もの』とは、全て日々の生活の中で、その経験によって創り出されていきます。
それらは建築の手足として、ときにその一部として機能し、そこに存在しています。
『用』があって、その『美』を追求していく。

『美』に特化し、それのみを追求することもまた、新たな『美』のかたちなのでしょう。 自己の内面に問いかけ、新たな『美』を創出していく「哲学的な側面を持った飽くなき美の追求」それが『美術』なのだろうと思います。

しかし、わたしは道具や家具における『デザイン(包括的な意味において)』—ここにこそ『美』の本質がある気がしてなりません。
古代から江戸時代までの『美』は、道具や家具のかたちで実生活のなかに存在していました。
それは個人の主張ではなく、作品としてでもなく、風土や様式を培って完成された『もの』として、そこに在ったのです。
たとえば漆器などの優れた意匠がもつ天衣無縫(技巧をこらした跡がなく、自然であるさま)の完璧さ。
人間の手仕事であることを超越して、既にそこに在り続けたといわんばかりの存在感。
これは近現代のアートにみる主観性の強さによる存在感とは全く異質のものです。
工芸品のある種、冷たく無機質な風合いこそ、『もの』としての『美』ではないかとわたしは思うのです。

『もの』の価値とは、常に実生活の経験から生じます。
そして、本来『もの』の見方とは生活の一部として見ることです。
日本の美意識である『奥床しさ』(上品でつつしみ深い様子)、『侘・わび』(質素で静かな様子)、『寂・さび』(時間の経過による劣化の様子)。
千数百年という歴史のなかで培われ、江戸時代で花開いたこの美意識の中に、『ものづくり』のひとつの答えを見出せるのではないでしょうか。

わたしの考えは大げさで固い懐古主義な考え方と捉えられるかも知れません。
しかし、枠のない領域横断的で無国籍な現在の状況だからこそ、古いものに文化を見いだすのではなく、新しいものにこそ、文化を昇華させた『伝統』を見せるべきだと、わたしは思うのです。

© Syoh Yoshida, 2008.

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Like Suddenly Noticing That the Season Has Changed
気がつけば、季節が変わっていたことを知るときのように

Text by Chiho Sakai


大学で表現を学ぶ学生たちと接していると、ときどきふと、迷子になった子どもと出会ったときのような、切ない気持ちに襲われることがある。 絵画やデザイン、工芸などの枠組みのみならず、さまざまな手法をともない、ジャンルの垣根を超えた展開をみせる現在のアートという表現領域のなかで、彼らはしばしば、制作に向かうことに二の足を踏んでいるように見えることがあるからだ。 自らの思考するものを自由に表現する、という作り手の大きな課題は、デッサンや彫塑など、技法や素材についての条件があって制作に取り組むことよりもはるかに難しい。それは当然のことだが、これほどまでに多様な作例や、表現手段とする素材、技術などの情報があふれ、どこまでも選択の可能性があるかのように見える表現をとりまく環境にあって、学内ではむしろ、その自由を前に途方に暮れてしまっているような面持ちと出会う。

学生だけでなく、ただでさえ私たちはマスメディアを通したさまざまな情報の海のなかで日常生活を送っているのだから、その実感を欠いた現実では、若い人たちの表現への求心力が稀薄になっていくのも当然かもしれないと気の毒に思うことすらある。自分がどこに向かって進むのか、そしてなにをすべきか、自らの志向を定めるのに時間がかかる上に、受け皿から溢れ続けるような、さらなる表現手段の自由に右往左往する。大海の波間の上を小舟がただ漂うように困惑しながら過ごしている、そんな若い人たちの姿をしばしば目にする中で、吉田翔はひときわ逸脱している存在だと思う。彼にはそういった迷いはうかがえない。

私は彼の姿を学内で見かけたことがあっただろうか。現在の、彼の制作室を訪ねるまで、私は彼が毎日、一日の大半をその制作室で過ごしているということも、若いながら、とても落ち着いた態度と物腰の人物であるということも知らなかったのだが、そういった生真面目な佇まいは、彼が表現への求心力を失うことなく制作に向き合っていることを裏打ちしているように思えた。

はじめて吉田の制作現場を訪ねたとき、画材や筆などが整頓されて並べられた彼の机の上には、日本画の画集も積み重ねてあった。彼は、小学生の頃に見たという上村松園と伊藤小坡の展覧会の図録を開きながら、描かれた女性たちが何しろ美しく、肌や髪の、つやのある質感やその透明感に見とれたと、当時会場でそれらの作品を目にしたときの鮮明な感動を語ってくれた。それは彼の表現活動の大きなきっかけになった出来事であるという。はじめて吉田の制作現場を訪ねたとき、画材や筆などが整頓されて並べられた彼の机の上には、日本画の画集も積み重ねてあった。彼は、小学生の頃に見たという上村松園と伊藤小坡の展覧会の図録を開きながら、描かれた女性たちが何しろ美しく、肌や髪の、つやのある質感やその透明感に見とれたと、当時会場でそれらの作品を目にしたときの鮮明な感動を語ってくれた。それは彼の表現活動の大きなきっかけになった出来事であるという。
実際に見た絵画それ自体を、リアルに描きとろうとした幼い頃の模写の楽しさと、透明なものが透明に表されているという、彼が当時、心を揺さぶられた感情体験に大きくもとづいた制作。彼が描くものは、自らが見た風景の一瞬である。

黒と白という二色のみが用いられるその作品には、遠くの家々に明かりが灯る夕闇の風景や、透明な水滴が今にもこぼれ落ちそうな瞬間が描かれる。水や、大気の流れやその空気のなかに漂う微粒子といった、目に見えないものを感知する瞬間をそのままに絵画に写し取り、その一瞬の美しさを見せようとするのだ。
作品に用いられる松煙墨という画材のつや消しのマットな墨の色は、陰影や奥行きを示さないどこまでも平坦な黒でありながら、薄く塗られた色層では青みを帯びた透明感を放っていることが確認できる。作品の前に立ったとき、見る角度や距離によって、濁りのない暗闇に一気に白いモチーフが浮かび上がってくるように見える瞬間があるのは、彼の作品の最大の魅力でもあるが、それは日本画の技法に使われるそれら素材の特性にも起因しているのだろう。

それにしても、彼の作品を見ていて、「全体を見るということは、目を閉ざすことでもある。全てを見ることは、全てを見ないことと同じなのだ。」という、ずいぶん前に聞いた恩師の言葉がふと頭に浮かんできたのはなぜだったのだろう。
我々の目は常に、見ているものを図と地に分けようとする。意識の焦点となったかたちが、他を背景へと押しやっていく。だから、図として意識するもの以外はおぼろげに霞むものだ。
しかし、それなのに、彼の描く、無の世界ともいえるただ墨一色で表される闇も当然そうであるかというと、そうではないのだ。 確かに、カメラのファインダーをのぞいてピントを合わせるときのように、近付いたり離れてみたり、角度や距離を変えることによって、描かれた花や、光の表情は豊かに変容していく。しかし、彼が、輝くような胡粉の白で描くイメージの形象は、背景へと追いやったはずの平坦な闇にも、むしろ、そのかたちを包んでいくような、奥深くへと続く空間的な表情を与えている。そこでは、空間的な奥行きを感じさせるというよりも、闇の世界に突如情緒をたたえだして、流れる無限の時間をうかがわせる、という方がしっくりくる。空気中の透明な微粒子を感知する時のような、いわば、湿度を感じさせるのだ。

吉田がその作品制作において一貫して問題としているのは、「日本画」である。西洋画(=油画)に対立する認識として、という技法や画材の面のみならず、様式や、文明、それに時代ごとの歴史という時間的な観点が複雑に絡み合い、ひとことでそれを定義することも、言い表すこともできない「日本画」という言葉を彼は常に意識している。日本画とはなにか。それは、彼の活動の根底にあるものだが、彼は同時代の「日本画」と称される個人作品の多くを日本画としては認めてはいない。彼は、それらをかつて長谷川派や狩野派といった流派などによって歴史上に培われてきた絵画とは、全く異なるものとしてとらえている。日本という文化の土壌で古来の伝統を引き継ぎ、師弟関係のなかで各々の役割や技術を修得したその上で、個人が創造性を発揮し、表現を昇華させたその経過自体が「日本画」と呼べるという、確固たる定義を吉田は持っているのだ。そのような日本画の歴史への憧憬も抱いているが、ゆえに彼は、その表現で用いる画材や手法という点から、自らの作品が「日本画」というジャンルに分類されることも拒絶する。同時代の表現者たちに対する批評精神と、日本画を問うその態度は真摯であり、誠実な態度は凛としていて頼もしい。

では、彼はこの現在の状況で、自らの作品をどのように思っているのだろうか。
「普段使っている椅子やテーブルのように、誰かのひとつの生活空間のなかで、なくてはならない存在のような、そこに在ることが当然のような、空間やその場の空気と一体化するような作品をつくりたい。」初めて制作現場を訪ねたときに、ともすれば聞き流してしまいそうなほどさらりと言った実になにげないそのひとことは、けれども、その深奥へと続いている吉田の制作に対する思いや、重きを置いている価値観が、そのままに顕れていた気がする

「気のおけない」とは、その存在を意識しないということだ。私たちは、身の回りにあるものの存在をいちいち措定してはいない。これは何の目的のためにあり、このように機能すると、ものの存在の意味の全てを意識しながらでは生活できない。ゆえにデザインの領域では、それが意識されずに生活の場におさまって機能するという点は非常に重要な課題でもある。日常において、なくてはならない道具や技術は、人の手に触れるとき、意識されずに機能しなければならない。しかし、人間のいわば能動的な行為によって乗り越えられるそれらとは異なり絵画作品とは、人肌から離れ、距離をもって鑑賞されるものである。画面に残る作家の自由な想像力とその美しさが静観的に享受されるものなのだ。
彼のその態度が表現に顕現していると感じたのは、現実の光や湿度といった、今、まさに体感している現象に合一していくような、緩やかに流れる空気の「気のおけない」要素を潜ませているからだ。あるときに、はっと季節が変わったことを知る時のような、すれすれのさりげなさである。それは、これから磨きをかけていく部分でもあるだろうが、密やかでありながら、時間的な果敢なさと、空間的な儚さという、大変魅力的な性質をはらんだ作品の今後の展開に、個人的に大きな期待を寄せている。

© Chiho Sakai, 2007.
Chiho Sakai is a Japanese art critic who has published numerous articles in art magazines such as "Art iT" and "Bijutsu Techo" .
First Published in "SYOH YOSHIDA", Printed privately, 2007.

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Perceptibility

Voice calling
呼ぶ声

Text by Mari Kusaki

2004年3月、大阪成蹊大学芸術学部の学内ギャラリー〈スペース B〉にて、学生選抜展「B-port 〜余白の地〜」が開催されました。この展覧会は、 〈スペース B〉のスタッフ2名により、同年2月に開かれた成安造形短期大学(次年度より大阪成蹊大学芸術学部として改組)の卒業制作展から選出された8名の学生を紹介するものでした。
選ばれた8名は、卒業制作展の終了日から、選抜展開催までの約1ヶ月という短い時間の中で、旧作の再構成や新作の制作にかかりました。 吉田くんとの出会いはこの時でした。当時〈スペース B〉のスタッフのひとりとして働いていた私は、選抜展へ出品を依頼する学生を探すために訪れた卒業制作展の会場で、彼の作品に出会ったのです。
この時の吉田くんの作品は—使っている材料は木炭、鉛筆、金箔と現在とそう違わないものの—現在発表しているものとは違った雰囲気の装飾的な、縦長のパネル6枚による組作品でした。 きらびやかで端整な、そして同時にソツのない作品、そういう印象を受けたように記憶しています。その作品が特に優れた作品だったか、というと—私の個人的な印象ですが—残念ながら特別に群を抜いたものではありませんでした。 けれども私たちは、吉田くんに出品を依頼することに決めました。ひとつ、とても強く、呼びとめられるものがあったからです。

それは画面の所々を占める「黒」でした。
金箔で彩られた面の淡白な輝きを圧倒する、濃密な深い炭の黒。執拗に木炭を塗り込んだマットな面に、時折荒い炭の破片がチカチカと小さく光る。 そしてその隙間にひしめく鉛の鈍くあやうい銀色。執念じみて塗りつぶされた質感は異様で、観る者に—少なくとも私には—言いようのない不安を感じさせました。若い葉の裏側に、小さな虫が群れているのを不意に目撃したような。
この状態にたどり着くまでに費やされた時間、その間指先に送り続けられ、画面へと定着された筆圧、そこに静かに落とし続けられた眼差し。それらを思うと私はちょっと、ぞっとしました。
愛想良く、気さくに話してくれる吉田くんは、作品から受けた几帳面で神経質な印象を気持ち良く裏切ってくれましたが、それでもやはりその向こうに、なにかざわざわとするものがあるようで、 そのまま通り過ぎることはできませんでした。その正体を覗いてみたいと、立ち止まらずにはいられなかったのです。
ソツなく禁欲的な作品ではなく、まっすぐ欲望のままに、ただもう好きなだけ炭を塗り込む作品が観たいと思いました。そして、成安造形短期大学卒業制作展を終え、 大阪成蹊大学芸術学部へ編入学する準備をしていた吉田くんは、まさにそんな作品をつくるプランをたてているのだといい、快く選抜展への出品を引き受けてくれました。

[蓮の葉の群れる光景の中に]

そうして、〈スペース B〉の高さ5メートルの吹き抜けの壁を飾ったのが「風景2」でした。
ゆるやかな起伏をもったドーム型のおおきなパネルに描かれた蓮の葉の群れ。近景から遠景へと、大小の葉がびっしりと描かれていました。 分厚い大きな葉をごそごそと鈍く揺らすモティーフのボリュームと、木炭の温かな深い黒、摩擦で毛羽立った和紙の柔らかな印象が、しっくりと、しっかりと、ひとつの画面の中に定着していました。
濃厚な黒で描かれたコントラストの強い画面は、黒々としているのにハレーションを起こしたような眩しさを感じます。更に隆起した面に描かれているため、外側へ向かうほどに、 また視点が少し移動するごとに、不意に歪み、軽い目眩につきまとわれ続けるのです。肩を寄せ合いひしめき合う、息の詰まるような景色。満ちているがゆえに感じる不思議な心細さ。 意識を失う寸前に見る、最後の景色のように—音もなく、色もなく、温度も匂いもない—激しく静かなあの景色のようでした。
作品に漂う静謐さに反して、マティエールは激しい。先にも触れたように、和紙の柔らかい繊維の上を執拗に木炭でかきむしった結果、表面はほぐされて捲れあがり、 擦り減り毟り取られて、無惨に傷つきくたびれた様相をしていました。痛々しい。

描くこと、目に映る世界への一途で強固な愛情?—そう感じたとき、またちりっと胸がいたみました。逃げ出したくなるような「恐怖」ではない、ある種の怯え。 見えない何者かの気配に怯え、警戒しつつも、素直に美しいと足を留めてしまう無防備な自分に対する「危機感」でしょうか。

画面と、対象と、描くことと、素材、それらすべてに真正面から全身全霊を捧げて向き合っている。攻撃的と見えるほどに強い調子で発散されるエネルギーの根源となるもの、 それは「愛しさ」なのかもしれない。ある時ふと、そう思うようになりました—過密な愛情。
目にするもの、触れるもの、一瞬優しく心に触れていくもの—木炭や鉛筆やインクの黒の質感、紙の上にそれらをのせる時に手に伝わってくる感触—「描く」という行為。自らの手で世界の一部を切り取り、 再生する快感。彼の作品からはそんな悦びが、愛おしくてたまらない、手放すものかという執心が、静かに激しく伝わってきて、私にはいじらしくも思え、また少し切なくも感じました。
その行為の果てに得るものと、支払わなければならない代償を想像する。それは誰にとっても逃れることのできない道理なのだけれど、 こんなに強い気持ちの前では、それはそう容易いことではないだろうに。彼の作品から感じる不安や心細さ、小さな胸騒ぎは、そんな未来を予想してしまうからなのでしょう。
無用な心配なのは重々承知しています。真っ直ぐに愛しいものと向き合うことのできるその強さが、羨ましくもあり、妬ましくもあり、 少し疎ましくさえあり。その無防備さ、無邪気さが腹のたつほど羨ましい。純度の高い彼の情熱にあてられ、腰がひけてしまっているだけなのです。

その後、吉田くんの作品は—当然—少しずつ変化してきました。それでもやはり、なにかしらちりりとひっかかるものが、消えてはくれません。

[劣化する景色。昇華する記憶]

吉田くん自身のテキストでも語られているように、「黒」で描くという行為は、彼にとってごく自然で、且つ、とても魅力的なことのようです。幼い頃から慣れ親しんできた「黒」。 それは必然なのか惰性なのか、揺らぐことはなかったのでしょうか。
人間の眼はある幅の光の波長を捉え、いくらかの色を識別、認識して世界を捉えています。無数の色に囲まれ、彼はその世界をなぜモノクロに分解し、あんなにも強い陰影の中で描くのでしょうか。
気を失う時に見る景色のようだ、その印象は、その後の彼の作品にも引き続きつきまとっていました。体の機能の極端な低下が、大きすぎる視覚情報を処理しきれず、強い光と強い影の情報だけにまで圧縮し、 脳へ送られる。必要最低限に選別された世界の有様なのかもしれません。
記憶でも同じように、すべてが均等に残されることはなく、ある印象的な—あるいは重要な—部分部分だけが鮮明に残され、あとはとばされてしまう。容量の問題でもあり、 時間にともなう忘却でもあり、意思に関係なく否応なしに処理される。繰り返し再生するうちに擦り減り、劣化していくテープの記録や複製画像のように、彼に濾過される景色もまた、選別され、切り捨てられ、 圧縮されているのかもしれません。昇華された記憶として。
とはいっても、吉田くんは記憶だけに頼って描いているわけではないようです。彼はカメラを持って街へでかけ、これはと思う景色を写真におさめる。スケッチではなく、写真を撮る。 その写真、また写真を撮るという行為はどんな役割を担い、彼にとってどのような存在であるのでしょうか。
 「資料としてはサイコー」、いつだったか本人からそのように聞いたことがあります。「資料」として割り切っていることが、いささか意外に思えました。描くことと同様の執心は、そこにはないらしいのです。 記憶の不本意な劣化を防ぐための資料—バックアップ—ということなのでしょうか。記憶の景色が、現実から訣別してしまわないための。
しかし私には、それだけではないように思えてなりません。写真を撮る、それをもとに描きおこす。そこにはやはり、彼の心に優しく触れる愛おしいなにかがあると。 単に撮ることの楽しさや快感、機械としての魅力でもない、描くこととの間に横たわる密接な感情が。勘ぐってみたところで、邪推でしかないのですが。

[静かすぎる場所]

最近の作品では、正方形に近い比率のドーム型パネルとフラットなパネルの両方を、モティーフにあわせて選び、有機的なもの、無機質な人工物などが描かれるようになりました。 画面はこれまでのように—これまでよりも—静かで、過不足なく、ある種の緊迫感と不可解な優しさを匂わせ、そしていつかのような禁欲的な作品になったように感じます。
しかし、あの蓮の葉の作品から変わったところがあるとすれば、それはそんなことではありません。画面の中の「白」の存在です。
「風景2」はある時描きなおされました。はじめの完成から1〜2年後のことだったでしょうか。描き直された作品は、画面全体に炭と胡粉が塗り込まれ、ごわごわと捲れあがっていた和紙の繊維も寝かしつけられ、こころなしか所在なげでした。
「黒」で描く。描かれないスペースが白く残る。多少絵の具をのせられることはあっても、そこにはかつて歴然としたコントラストがありました。描かれないことが、無いことが意味を持つ空白。不在の存在意味をもつ余白の地。それがあったからこそ、黒々と描かれた面があんなにも強くたち現れていました。正直、それが遠のいて息を潜めてしまったことが、わたしには残念でした。
ぞっとまでした激しく一途な気配はかき消され、隅々まで均一な—とりつく島もない—美しくよそよそしい作品になっていました。「黒」と同じだけ描き込まれた「白」の存在。光と影は対等に在って、 画面は平和に均一でした。揺れていた葉もじっと立ち尽くすように。静かすぎる。ざわめきに満たされた静寂ではない、虚空の静けさ。
絵描きにとって—ものづくりにとって—変われるということは、歓迎すべきことであろうし、少なくとも、観る者のわがままでひきとめられるものでないことくらい、承知しています。 それでも、どんなふうにこの作品と向き合えばいいのか、とまどってしまいました。
もちろん勝手な印象ですが、以前の作品には、どうだきれいだろう、これ全部僕のものだ、羨ましくったって触らしてやんない、というくらいの無邪気な激しさがありました。 その時にはその激情が恐ろしくもあり、羨ましくもあり、疎ましくさえあったのに、いざ消えてしまえば物足りない。なんだかんだ言って、あの偏愛っぷりを私は楽しんでいたのです。
感情移入しすぎる質の私は、できるだけ—もちろん物理的にではなく—離れて見ようと心がけました。揺れることのない水面のような、静かすぎるこの作品の向こうにあるものは何なのか、と。それには時間がかかりました。

[呼ぶ声]

ごく最近になって、ようやく感じたものがあります。
僕のものだと、自身の手から放しきれなかったものを彼は解いて、受けとめることを選んだのではないだろうかと、そんな気がします。 それまで余白として意識の外にあった「白」を描くことは、そこにあるものを受け止め、手をのばす行為なのかもしれない、と。
独占的な愛情がほぐれて、ここへおいでと、外にいるものを呼ぶ声が、向こうから聞こえるように思います。愛しい、愛おしくてたまらない世界との折り合いのつけ方を、 手に入れようとしているんだ。よそよそしかった作品に、私はやっと向かい合いました。
その声はまだ幻のように不確かです。でもきっと、じきに彼のお気に入りを集めた美しい庭から、はっきりと声の聞こえる時がくるのだと思います。 その時にもやっぱり、画面は静かすぎるほどに静かなのかもしれません。けれどその静けさは、気配に満ちたあたたかい静けさであってほしい。

[世界の余白を旅する]

誰かの切りとった世界の断片は、観る者それぞれの記憶の庭へとつながる。忘れてしまっていたことも、忘れられないことも、なつかしい土地へ、思いがけず送り込んでしまう。 思い出の—歴史の—点々をランダムにつなぐ装置。絵画は旅の扉なのだと思います。
吉田くんの作品は、たくさんの人をいろんな土地へと運ぶ、大きな船になるかもしれない。そうあってほしいと、強く願います。
港を出て、汽笛を鳴らす。真っ白い霧をさいて、世界をおし拡げていく。世界をめぐり、昼側に落ちる影も、夜側に灯る光も、彼は均しく手に入れるのでしょう。白地図は飽きることなく描き込み続けられる。そんな日々。
かつて「B-port 〜余白の地〜」と名付けた学生選抜展に、思い描いた光景が今またありありと思い起こされます。あの日と同じ地平で、ゆるやかに変わりゆく作品に出会うことが、今はとても楽しみです。

© Mari Kusaki, 2007.
First Published in "SYOH YOSHIDA", Printed privately, 2007.

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Perceptibility

Process | Nihonga
プロセス | 日本画

Text by Syoh Yoshida

[日本画]

興味を持ったのは小学校二年生の頃だ。近所にある古川美術館へ母の勧めで行ったときだ。企画内容は、『会館一周年記念/女性が描いた女性像/上村松園と伊藤小坡 』。一目で彼女達の虜になった。ただ美しく、優美であった。そのとき、初めて母に画集を買ってもらい、その画集を横にシャープペンシル片手に画用紙に模写をよくしていた。最初に描いたのは、伊藤小坡『鶴ヶ岡の舞図』。今でもよく覚えている。
六年後、愛知県美術館で「川合玉堂展」が開催された。展覧会宣伝ポスターに惹かれ見に行った。(この頃、『日本画』という概念を意識していたわけではない)この時は、自分で画集を買った。その後、玉堂の絵をひたすら模写していた。そうは言っても、シャープペンシルで輪郭線を描くだけで、彩色などはしていなかった。玉堂は二十二歳の時、橋本雅邦の「龍虎図」に感銘を受けた。私もそれに習い「龍虎図」を模写した。
その後、(確か)名古屋市美術館で『ゴッホ展』が開催された。人混みをかきわけながら、見たように思う。印象は、失礼な話だが、単純に下手だと思った。今まで、優美な線で着物の柄ひとつひとつ、もみじの葉一枚一枚描かれた絵しか見てこなかった私には見るに堪えなかった。『日本画』という概念を自らの中に意識したのは、この頃からだ。
熱海へ家族旅行に行った時、MOA美術館に立ち寄った。展覧会内容は全く覚えていないが、館内の売店で『広重 東海道五十三次』の図録を発見し、購入。広重の絵もひたすら模写した。この頃、誕生日に母より三十色入の顔彩を贈ってもらい、彩色模写も少し描いていた。

[白と黒で描くこと]

普段(二、三歳頃)から主にボールペンで描いていた。いつも周囲の風景を紙に写し取ったりしていた。ボールペンと紙は常に(母が)携帯していた。なぜか、(自分で持って行ったのか、誰かが置き忘れたのか解らないが)トイレにもボールペンが設置してあった。私はトイレに入ったらなかなか出てこなかった。便座に腰掛け、向かいの壁に(直で)ひたすら絵を描いていたからだ。毎日毎日、トイレに行っては描き足していた。自ら物語を創り、話が進むにつれて絵を描き足す。すごく楽しかった。黒という色を意識していたわけでも、好んで使用していたわけでもない。紙とボールペンさえあれば何の問題もなかったのだ。黒は常に身近な存在であった。幼稚園で描いた絵も、黒のクレヨンしか使っていなかった。母が私に他の色のクレヨンを使ってもいいんだと促したらしいが、聞く耳を持たなかったらしい。

いつからかボールペンに取って代ってシャープペンシルで描くことが主流になった。高校生になって美術研究所(予備校)へ通い始めるまでは、シャープペンシル一本で描いて来た。実際、ここへ来るまで鉛筆の種類がこれ程あるとは知りもしなかった(意識しなかっただけかもしれないが)。美術研究所は衝撃的だった。みんな、石膏像を眼前にイーゼルを立て、写真と見間違うばかりの石膏像を描いている。(ただの勉強不足だが)今まで、「日本画」の平面的な世界しか見てこなかった私には衝撃だった。ここでは、描くための技術を存分に教えてくれた。色使いの楽しさも知った。デッサンも大好きだった。デッサンは鉛筆ではなく、主に木炭で描いていた。一気に色が載るし、グラデーションも綺麗に出る。鉛筆よりも木炭の方が単純に描きやすかったからだ。
大学に入ってからもそれは変わらなかった。デッサンは木炭。普通『日本画』は、写生を何合して草稿紙に本番さながらの下絵を描き、それを本紙に念紙を通して写し取る。さらに本紙に写った下絵を面相筆を使って墨で骨描きし、それから彩色作業に入る。これが『日本画』の魅力と言えばそうかも知れないが、無駄な作業が多すぎる。本紙に直接写生したらいいではないか。そう思った私は本紙に直接木炭で描くことにした。最初の二枚までは、木炭デッサンの上からの彩色を行っていた。しかし、彩色する前と後では、する前の方が明らかに魅力的であった。木炭のみの作品 。黒が綺麗であった。

[モチーフ]

幼い頃に『日本画』の洗礼を受けた私は、極自然に日本文化に惹かれて行った。小学校の修学旅行で行った京都は、非常に魅力的であった。その後も何度か京都を訪れたが、訪れる度に魅力が増して行く。将来は、必ず京都に住むと決めていた。
京都は肌に合う。暇さえあれば、散策に出かける。そこで出会った美しい景色、私にしか見えない光景を描いている。 思い出に浸る。心地良さ。懐かしさ。寂しさ。緩さ。時間。私の作品を見て感じてほしい事柄である。「記憶」として感じてほしいのだ。曖昧な映像として。京都にいて思うのは、懐かしさである。常に新しいものの中に古いものが混じっている。それらが、いつからそこにあって、どのような場所に存在していたかは解らない。初めて眼にするものばかりである。しかし、なぜか懐かしさにかられる̶あたかも忘れていた記憶が甦るかのように。

[写真から絵画へ描き起こすこと]

美しいと思うのは、その一瞬の間であり、次の一瞬ではない。その一瞬の空気感や時間の流れ、人の動きや光の軌跡、風や葉の揺らぎ方、雲の流れなど、おそらく二度と同じ状況にはならないであろう。全てのものは、絶えず変化している。一秒先は、別の世界である。絵の中に時間の流れを表現したいのではない。私の眼が見たものを伝えたいのである。美しいと思った風景を切り取り、そして、感じ取ったままに描き起こす。問題は、現実をどう写し出すかである。

[今日の日本画]

過去にこだわり過ぎではないだろうか。だが、決して過去を否定するのではない。伝統とは何か。技術を受け継ぐことである。職人であること。しかし、革新性を求めるのは必然である。だが、それは、それらを行う要因となったもの、それらの歴史を踏まえた上で成り立つものである。けれども、現在は、全てがそうであるのではないが、それらを昇華させたものとは思えない。そこに過去の歴史を感じることが出来ない。素材が在るだけである(もちろん、素材も重要な要素である)。即存の技術を使うことが、革新性に繋がらないと考えたのならなぜ、プロセスから変えようとしないのか。 そこに、疑う余地はないのだろうか。『革新』とは、 旧来の制度・慣習・方法などを変えて新しくすることである。過去にこだわらず自由を求めたのならばなぜ、『日本画』なのか。『日本画』とはなにか。私には解らない。もし、『日本画』を描く上でのプロセスこそが、『日本画』の本質だとするならば、それで良いのだろうか。

© Syoh Yoshida, 2005.
First Published in "SYOH YOSHIDA", Printed privately, 2007.

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Perceptibility

Dome Panel
ドーム型パネル

Text by Syoh Yoshida

[要因]

ドーム型パネルは、次の「概要」に述べるような考えが当初から存在して創られたわけではない。要因となったのは、絵画作品の土台に用いられているフラット型パネルの正面と側面との間の境目に違和感を感じたことである。
通常、絵画作品は真正面から鑑賞するものだが、ときに(マチエール等の状態確認をする際など)斜め横から覗き込むことがある。その際、真っ先に眼に飛び込んでくるのは、パネルの(もしくは額の)角張った正面と側面の境目である。そもそも、斜めから観るのが良くないのかも知れないが、これでは絵が台無しである。斜め横からの絵の見え方も考えるべきではないだろうか。もっときれいな見せ方があるはずである。
まずは、パネルの側面の部分まで絵を延長して描いてみた。だが、そこまで描いたところでパネルの正面と側面の境目が無くなるわけではない。次に、正面と側面の境目削ることを考えた。しかし、通常のパネルは構造上、正面と側面の境目の角を削ったところで境目に穴が開くだけである。そこで、木板を積層して容積密度のあるパネルを作り、正面と側面の境目の角を削って見た̶そして、完成したのがドーム型パネルである。
創造要因は違うが、このような形体のものに二次元空間を表現してしているものはいくつか存在している。だが、絵画では初の試みである。

[概要]

球面に映像を投影するものとして、最も有名で普及しているものはプラネタリウムであろう。一方、映画やテレビの分野でも球面スクリーンが登場している。球面に映像を投影するのは、写し出すものに立体感や臨場感を与えるためである。これは、三次元空間を二次元空間で表現する上で最も有効な策と言える。私はこの球面に映像を投影する方法が、絵画表現に置いても有効ではないかと思う。
私の作品を見て、正面からに限るが、パネルが膨らんでいることに気付くことはまずない。これではパネルをドーム型にする必要がないのでは、と思うかもしれないが、これで良いのである。あくまでドーム 型パネルは、パネルに描かれた絵をいかに普通に、違和感のない空間に見せるためのものであり、パネルをドーム型にしたことにより絵に違和感が生じるようでは意味がないのである。
私の絵画作品は、真正面からの鑑賞にくわえ、斜め横からの鑑賞にも耐えることが出来る。パネルの構造は、パネルの各両端の辺からパネルの中心部に向かって緩やかな曲線を描いている。斜め右横から鑑賞した場合、右側の空間は広く見え、逆に左側の空間は狭く見える。したがって、斜め右横から鑑賞した場合、右から左にかけて自然に遠近感があるように感じられるのである(正面の場合は、中心からパネルの各両端にかけて緩やかな遠近感が得られる)。つまり、一枚の絵画作品のなかに複数の鑑賞視点が存在していることを示唆しているのだ。これは、一枚の絵画作品に置ける新次元である。

[設計]

ドーム型パネルの構造は、二年前までは、入念な設計作業は行われていないかっため、画面サイズは同じでも曲面の仕上げに関しては個々別々であったが、現在は次の方法でドーム型パネルの設計を行っている。
限られたスペースでより高い臨場感を実現しようとすると、画面を観察者の近くに置くことになるが、近すぎると水晶体の焦点調節の問題から遠景の呈示に無理が生じる。呈示画面が眼から1m以上離れると、調節が無限遠と同様になることが知られているため、画面から1mの距離に立って見る状況を設定する。この時、十分な没入効果を得るためには人間の視覚の特性を吟味する必要がある。人間の視野角に関しては過去に様々な研究があるが、今回は『畑田豊彦:視覚効果による人工現実感(精密工学会誌、Vol.57、No.8、1991)』の行った実験データに基づいて画面サイズを決定した。用いたデータは次のようなものである。まず、臨場感の指標としてよく用いられる視覚誘導性自己運動であるが、ジェットコースター等の動きのある映像を呈示した時に重心移動が起こる呈示視野角が60度から80度程度で飽和するという結果が得られている。次に、画像とインタラクションを行う時に画面を見回すことが必要になるが、これに対応するものとして眼球と頭部の運動で無理なく見渡せる範囲である安定注視野が計測されており、その値は水平に80度、上下に70度程度である。これらの知見を基に画面サイズは横750mm、高さ728mmとし、曲率700mmとした。1mの距離からこの画面を見た時の視野角は水平が88度、上下が75度である。

[ドーム型パネルが在る中でのフラット型パネルの存在意義]

ドーム型パネルにより画面に飛躍的に奥行きや臨場感が生まれた。更には、フラット型パネルには存在しない複数の鑑賞視点を有し、鑑賞視点を限定しないことによる、移動しながらの連続的な視点を可能にし、絵画作品における映像的な表現が出来るようになった。だが、人工物に関しては、ドーム型パネルは有効であるだろうか。二次元空間において、人工物(建築物等)を表現するためには、縦横の直線的なラインが非常に重要である。しかし、ドーム型パネル上で直線的なラインを描くことは不可能である。なぜならば、“歪み”が生じるからである。ドーム型パネル上に建築物を描いた場合、建築物の遠近感(遠近法)に拘らず、建築物がパネルの四方に引っ張られることになる。これが“歪み”である。自然物には、人工物に見られる直線的なラインは存在せず、不規則に物体が点在している。人工物のように直線的な一連の流れによって遠近感を得る必要はなく、物体の大小で遠近感を表現することが出来る。空間に不規則に物体が点在していることに加え、物体の大小で遠近感を表現することが出来るとすると、ドーム型パネルに同じ大きさの花を描いた場合でも、中心部から各両端にかけて自然に遠近感が得られることが解る。フラット型パネルに同じ大きさの花を描いた場合、当然、画面はフラットなので見え方は均一である。無論、描かれている物体に遠近感が施されていれば、画面に奥行きが生まれるわけだが、ここでモチーフによっての画面の選択肢があることに気が付く。自然物には、ドーム形状による空間の広がりが必要不可欠であるが、直線的なラインは不要である。人工物には、直線的なラインが必要不可欠である。つまりは、必然的に自然物=ドーム型パネル、人工物=フラット型パネルとなるわけだが、この“モチーフによっての画面の選択肢がある”ことは非常に重要である。だだ、描きたいものを描くだけではなく、描くものに適した土台を用いて描くことの重要性である。

構造と素材の組み合わせは無限といっても差し支えないだろう。あらゆる可能性がある。頭に想い描くものを如何にして創り出すか。それには、想い描くものに適した構造と素材を選び出さなければならない。だが、そこに答えなどないのである。しかし、多くは、一つの答えを唯一の答えだと信じ込み、何の疑いもなくそれを実行する。なぜ、即存の事実だけを真実とするのだろうか。

© Syoh Yoshida, 2005.
First Published in "SYOH YOSHIDA", Printed privately, 2007.